トップへ

  トップ 書評 掲示板 リンク

歴史閑話(二)
百人一首と定家について
古本屋が並ぶ神田神保町を歩いていた時のこと.とある古本屋で『藤原定家の真筆を発見』という新聞記事の切り抜きを見た.その古本屋は良いものを間近で見て欲しいという店主の意向で芥川龍之介や太宰治など有名作家の原稿を手にとって見ることができる.

所狭しと並べられた古書の数々.店内を見回すと片隅に一際風格の漂う掛け軸があった.松尾芭蕉の真筆だ.これも手にとって見て欲しいということで無造作に壁にかけられている.さすがに触れる勇気はない.近くで観賞するのが精一杯であった.値札には数千万の価格が書かれている.芭蕉からさらに500年もさかのぼる定家の真筆ともなると国宝級に違いない.

しかし,定家に関しては真贋の判断が難しい.多くの贋作が出回ったからだ.その最たるものを小倉山荘色紙という.室町時代以来,百人一首の原型といわれたもので,茶道の流行によって茶室に飾る習慣が流行した.この色紙を持つことが教養人のステータスとされ,明智光秀や徳川家康など多くの戦国武将がこの紙切れに魅了された.

淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守

光秀は茶室に張られたこの色紙を鑑賞しながら茶の湯をたてたという.小倉百人一首は定家の撰によるものだというのが通説ではあるが,実はよく分かっていない.

久しぶりに百人一首をどれくらい覚えているか確かめてみた.小中学生の頃,冬休みには必ずといっていいほど百人一首を覚えるという宿題がでた.一首目から順に覚えていくのだが毎年二十首くらいで挫折した.古語の意味が分からない.覚えるのは苦痛だった.

百首すべてを覚えてきたように見せかけるため,途中を飛ばしても最後の百首目は覚えた.今でも覚えている歌を数えると十五首.昔の記憶にしてはなかなかのものだ.百首目は今でも諳んじることができる.

ももしきや ふるき軒ばの しのぶにも なほあまりある 昔なりけり

宿題で覚えていた頃は,歌を覚えるのに必死だ.作者までは覚えていない.調べてみると百首目は順徳院.その前の九十九首目は後鳥羽院の作である.百人一首の撰者を定家とする説に異を唱える者が指摘するのがこの二首の存在だ.

鎌倉幕府を開いた源頼朝の息子実朝(さねとも)が鶴岡八幡宮で甥の公暁(くぎょう)に討たれた.幕府の弱体化を察知した後鳥羽院と順徳院は幕府の転覆を計った.承久の乱だ.しかし,頼朝の妻政子の叱咤激励によって頼朝恩顧の御家人が奮起.後鳥羽院は隠岐島に,順徳院は佐渡ヶ島に流されることになった.

まさに同時代を生きた定家.両院は元は天皇であったといっても幕府から見れば罪人である.ましてや定家は鎌倉将軍実朝の歌の師である.このような時代に両院の歌を選ぶであろうか?百人一首の成立は定家の時代よりもっと後である.定家撰者説に否定的な人たちは主張する.

その主張を擁護するかのような資料が昭和26年に見つかった.百人秀歌という資料だ.題の下には『嵯峨山庄色紙形 京極黄門撰』の注記がある.京極黄門とは京極家の中納言のことで定家を指す.この資料は定家の撰と考えてよさそうだ.百人一首には注記がないのと対照的だ.

選ばれている歌の大部分は百人一首と同じであるが,歌の並び方など細かな点で幾つかの違いがある.一番の違いは,百人秀歌には後鳥羽院と順徳院の歌が含まれていないことだ.替わりに一条院皇后宮,権中納言国信,権中納言長方の三人が選ばれている.正確には百一人一首だ.これこそが,定家の撰によるものであり,これを参考に後の時代に百人一首が成立したのだ.定家撰否定論者は追い討ちをかける.

もちろん反論もある.定家自身が自分のことを京極黄門と書くはずがない.これこそが後世に作られたもので,定家の撰ではない.百人一首から幕府をはばかって両院の歌をはずしたのが百人秀歌だと反論する.島に流された両院の鎮魂こそが百人一首の目的だと主張する者もいる.

定家が百人一首を撰したとされる根拠は定家の日記である名月記の文暦2年(1235)5月27日の記録である.京都嵯峨の山荘にある障子に貼るための色紙として,天智天皇から家隆・雅経に至る歌人の歌を一首ずつ選んだとある.どこにも百首とは書かれていない.これは本当に百人一首を指すのか?今では知る術もない.

定家が百人一首を書いたという小倉色紙.室町時代以降,茶道が流行すると値が高沸して,多数の贋作が出回った.寛政の改革をした松平定信は集古十種で小倉色紙の真筆の所在を明らかにしようとしたが,やはり真贋までは明らかにできていない.

定家の真筆だと伝わる小倉色紙が何枚か現存する.しかし,そのどれもが国宝には指定されていない.徳川美術館にある順徳院の歌でさえ国宝ではないのだ.歴史と美術と骨董が交差する小倉色紙.真贋の判断は難しい. (2006/8/19)

文章力向上のため,採点に御協力願います:
面白い, まあまあ, 普通, あまり, 面白くない


梓澤 要 「百枚の定家(上・下)」 幻冬舎文庫

『あはち嶋』は,確かに明智日向守光秀所持となっている.だが,江戸時代の記録には一度も出ていない.明治時代以降の競売会の目録にも,一度も登場していない.どうやら本能寺の変後,坂本城落城とともに行方不明になったのは確かなことのようだ.戦国時代から行方がわからなくなっていたものが,四百年の時空を超えて,海の彼方から出現した.秋岡はふう…と大きく溜息をついた.

トップページへ

Copyright(c) Masaki Onishi All rights reserved.