歴史の歩き方を書こうと思い,現地に行って,町歩きをして,写真を撮って,書くための資料を揃えて読んで…
そこまで準備をしながらも書くことができていないネタが幾つかある.織田信長が見た安土や,足利直義が見た鎌倉宮がそうだ.時が経つにつれて町歩きの記憶が薄れる.歩きながら気付いたことはメモするようにしているが,それでもすぐに書き始めないと活きた文章にはならない.町の息づかいや気候が頭に浮かばない.後から書くと説明ばかりの文章になってしまう.
分かってはいるのだが,忙しくて時間が取れなかったり,書く気分にならなかったりでお蔵入りの予備軍ネタがいくつかある.近いところならまた行けばいい.しかし,遠いところは行くのもままならない.一度書くタイミングを失えば中々書くことができない.そのうちの一つが松江での町歩き,この松平不昧が見た松江である.
以前松江に来たのは出雲大社の神殿が公開されたときのこと.松江を歩き回り,書く準備をした.しかし,そこでお蔵入り.特段書けなかった理由がある訳ではない.なぜか1年以上の時が過ぎてしまった.今回,再び松江を訪れる機会があった.到着した日は運悪く大雨.次の日の朝,用件のあるくにびきメッセへと向かった.
松江は水郷の町だ.駅から北へ向かうには宍道湖へと流れ出る??川を渡らなければならない.くにびき大橋?に差し掛かったとき,雨で水かさが増えた??川が視界に飛び込んできた.その瞬間,1年以上前の町歩きの光景が鮮烈に思い出された.
黒い天守,水郷の石垣,苔むした菩提寺.幾つかの景色が頭に浮かんでは消えた.今回は松江城さえ見てはいないが,1年前の写真を見て記憶を手繰りながら不昧が見た松江をつづりたい.
『不昧公』松江を見るとこの文字をあちこちで見かける.始めは読み方さえも分からなかった.ぶきみ(不気味)?,まずい(不味い)?いや少し違う.そう思った記憶がある.
『ふまいこう』出雲松江藩七代藩主・松平治郷は親しみを持ってこう呼ばれている.不昧(ふまい)は治郷の茶人としての号だ.松江の文化を高めた人物として親しまれている.
出雲松平家は家康の次男・結城秀康の家系である.秀康は二代将軍徳川秀忠の兄にも関わらず,将軍にはなれず,家康からは疎まれた??.その秀康の三男が松平直政.出雲松平家の祖である.
治郷が
朝日茂保
松平治郷
幼名は鶴太郎といったが,明和元年(1764)に十代将軍家治に拝謁し,家治から一字を授かり元服、治好(はるたか)を名のった.
くにびきメッセの意味.
大雨で水かさが増えた橋を歩き会場へ向かい
過去の町歩きを思い出していた.
(2008/5/19)

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