トップへ

  トップ 書評 掲示板 リンク

小栗忠順が見た横須賀を歩く
歴史において死して名をあげるということがある.例えば,坂本龍馬.幕末期に海援隊を結成し,世界のカンパニーを目指す.「日本を今一度せんたくいたし申候」と犬猿の仲だった薩長の同盟を仲介し,大政奉還を画策.しかし,夢半ばで明治維新の直前に凶刃に倒れる.享年31才.

例えば,高杉晋作.イギリス公使館の焼き討ちなど過激な行動を続け,孤立無援の長州藩で奇兵隊を結成.武力倒幕に向けて長州藩の軍備を組織した.しかし,肺結核に冒され,戦争を指揮している最中に喀血.こちらも維新を待たずに病死した.享年27才.

生き延びて名をあげた例もある.例えば勝海舟.幕臣でありながらも倒幕を容認.討幕軍を指揮する西郷隆盛と会談し,江戸城無血開城を実現した.龍馬人気の高まりもあって,その師である勝の評価も高まっている.また,榎本武揚もこの範疇に入ろうか.戊辰戦争では五稜郭まで戦い続けるが,降伏後は政府の要職についた.

一方,死して名が消えたものもいる.いや,名を消すために殺されたという表現の方がふさわしいかもしれない.その人物,小栗忠順(ただまさ)である.今の群馬県,上野(こうずけ)を治めていた役職から小栗上野介(こうずけのすけ)で呼ばれることが多い.ここでも上野介で通したい.

小栗家は徳川家康の三河以来の家来である.上野介は井伊直弼に才能を見出され,安政7年(1860)に日米修好通商条約の批准交換使節の一員としてアメリカに渡った.その時,ワシントンの海軍造船所を見学.米国の圧倒的な軍事力を目の当たりにした.軍事力の裏付けは何なのか.技術力である.上野介は自国での造船事業の必要性を痛感した.

アフリカ・アジアを巡って帰国すると,日本の軍事力強化のために製鉄所建設の準備にとりかかった.といっても自国の力では到底不可能だ.金もなければ技術もない.上野介はフランスをパートナーに選んだ.フランスに日本の生糸輸出を独占させる代わりにその利益を担保に金を借り受け,技術を輸入した.

呼ばれた技師はフランソワ・レオンス・ヴェルニーだ.ヴェルニーは各地を測量して建設の場所を横須賀に決めた.地形や水深がフランスのツーロン港と似ていることがその理由だという.上野介はヴェルニーと相談しながら「横須賀製鉄所起立原案」を作成した.この決定を機に一漁村である横須賀は急速な発展を遂げることになる.

今も海兵隊の町として栄える横須賀.以前から一度立ち寄ってみたいと思っていた.梅雨の晴れ間,横浜に来ていた.「そうだ.横須賀に寄ろう」そう思いつくと,すぐに横須賀線に飛び乗った.

曇った空,淀んだ海.空と海の境界線が分からない.そんな天気の中で横須賀駅を降りた.思ったよりも小さな駅舎.駅舎に階段のないJR唯一の駅だという.幾人かの外国人とすれ違う.スケボーで遊んでいる外国人もいる.海兵の町を思わせる光景だ.

駅を出てすぐに目に飛び込んできたのは3隻の軍艦だ.遠くにある山も近くの軍艦さえもかすんで見える.軍艦は空と海の境界に溶け込んでいるかのようだった.日本海軍の軍艦なのだろうか.ただ赤い海軍旗だけが色鮮やかに揺らめいていた.

海岸にはヴェルニー記念館が建つ.館内に入ると大きなスチームハンマーが二基保存されている.蒸気の力で金属を鍛造する機械だ.軍艦建造のためにオランダから輸入したもので「1865年ロッテルダム」の銘が刻まれている.幕末に横須賀へ輸入したものだ.大型の三トンのハンマーは平成9年まで稼働していたという.130年も休まずに働き続けた雄姿にはただただ驚かされる.

造船や修理のために船を停泊させる設備をドライドックという.上野介が計画したドライドックは今なお現役で使われている.ちょうど公園の対岸に位置するが,近くに立ち寄ることはできない.その地は太平洋戦争の敗戦で接収され,今はアメリカ基地となっている.遠目からでは詳細は分からないが6基のドライドックがあるという.時々公開されているようなので,また機械があれば立ち寄ってみよう.このドックを見守るように上野介とヴェルニーの胸像が公園内に立っている.

横須賀製鉄所の完成を待たずに幕府は滅びた.製鉄所は借金と共に新政府に引き継がれ,明治4年に完成.横須賀造船所と改称した.しかし,上野介も幕府と同様に横須賀製鉄所の完成を見ることができていない.既に日本史から名前が消されていた.

大政奉還の翌年の慶応4年(1868),最後の将軍である徳川慶喜は主だったものを江戸城に集めた.今後の徳川家をどうするのか議論するために.慶喜は恭順を決めていた.それが徳川の名を残す唯一の方法だと考えていた.その意見に真っ向から反対したのが上野介だ.主戦論を唱え,慶喜と対立した.上野介は危険人物とみなされ,直ちに全ての役職を免ぜられた.もう幕府とは関わりがない.領国である上野国権田村に隠遁した.

しかし,新政府軍は上野介に目をつけていた.勘定奉行である上野介は徳川家の財産を隠し持っているという噂も流れた.東海道先鋒総督府は上野介を捕らえ,家臣3名と共に河原で斬首した.もちろん隠し財産などなかった.上野介を殺害するための口実だった.殺害された河原の石が記念石として胸像の後ろに並べられている.昭和28年の開港祭を機に村から送られたものだという.血塗られた石.歴史の恐ろしさがひしひしと伝わる.

田舎の小さな村で過ごしてた上野介はなぜ殺されなければなかったのか.

総理大臣を務めた大隈重信は暗殺の理由をこう説明している.明治政府の近代化政策は小栗忠順の模倣に過ぎないと.だからこそ謀殺されなければなかった.明治政府は上野介,つまりは幕府の追従である.証人を消すことによってその事実を封印しようとした.

外国の軍事力に屈してはいけない.上野介は日本軍の近代化をはかろうとした.製鉄所や海軍はもちろんのこと陸軍にフランス式を採用したのも上野介だ.横浜にフランス語学校を設立し,日本の近代化に向けた知恵を外国から吸収しようとした.明治政府がたどった道を一歩も二歩も先に実践していた.

上野介の考えていた自国で造船するという計画は見事に実現した.「葛城」「高雄」「橋立」など多くの軍艦が横須賀で造られた.戦争に対する賛否はともかくとして横須賀は日清・日露の両戦争の勝利に大きく貢献した.これは上野介に先見の明があったからこそである.

さて,今日のゴールは三笠公園である.世界三大記念艦の一つである三笠が保存されている.パラパラと小雨が降り始めた.傘を出して足早に歩く.大通りの一本内側の道は国際的な雰囲気が漂うどぶ板通りだ.米軍の海兵隊だろうか.外国人も多い.アメリカンスタイルのバー,スカジャンの店,ネイビーバーガー,海軍カレー.空腹を感じながらも足早に三笠公園へと向かった.

先にも書いたが横須賀の北側はアメリカ海軍の横須賀基地である.三笠公園に向かうには左手に基地を見ながら歩くことになる.正門から基地内を覗いてみた.広大な領地だ.とても全容をうかがい知ることはできない.物々しい警護の兵が門を守っている.今も戦争の傷跡がこんなところに残っている.さらに歩き神奈川歯科大学や湘南短期大学の大学群を抜けるとその先が三笠公園である.

園中には東郷平八郎の像が立っていた.三笠といえば東郷である.東郷率いる連合艦隊は日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った.当時,先進国の仲間入りをしようとしていた日本はこの勝利に沸き立った.東郷は無敵といわれたバルチック艦隊に壊滅的な打撃を与えた.自国に戻れたロシア艦は1割にも満たなかったという.この劇的な勝利を演出したのが東郷の乗る三笠である.敵前で大回転を見せ,有利な陣形を生み出した.この大回転はトーゴーターンと呼ばれ世界に称賛された.

後年,東郷は上野介の遺族を自宅に招きこういった.日露戦争の勝因は小栗上野介が横須賀に造船所を造ったことだと.国内での造船という構想が日本の近代化に向けて正しかったことを歴史が証明した.東郷は逆賊として散った上野介の名誉回復を願ったが,現状でも上野介が正しく評価されているとは言い難い.

日本の近代化に大きく貢献した上野介は明治政府によって意図的に消された.もっと評価されてしかるべき人物だろう. (2010/7/3)

文章力向上のため,採点に御協力願います:
面白い, まあまあ, 普通, あまり, 面白くない


童門 冬二「小説 小栗上野介」 集英社文庫

「旧幕府の首脳部の中でも,あの製鉄所を爆破して,新政府には渡したくないという動きが強いのです」「なにをばかなことを!」上野介はみるみる怒りの色を顔にあらわした.目が光った.「まだ,そんなことをいっているのですが.あの製鉄所はもともとわたしは幕府だけのために造った訳ではない.新しく生まれる国家のために造りはじめたのです.だからわたしは,新しく生まれる国家に,引き出物として土蔵付きの家を差し上げる,とまでいったはずです」

 

小栗忠順の図

JR横須賀駅

軍艦

ヴェルニー記念館

スチームハンマー

ドライドック

小栗とヴェルニーの胸像

記念石

軍艦長門碑

どぶ板通り

米海軍横須賀基地

東郷平八郎元帥像と記念艦三笠


今回歩いたコース(誤りがありましたらご指摘いただけますと助かります)


大きな地図で見る

トップページへ

Copyright(c) Masaki Onishi All rights reserved.